波の音と薩摩富士
2日目は一路、南に車を走らせ指宿に到着。
砂浜に下りてみると、このような看板が・・・

” この海岸は、干潮になると波打ち際から85度の温泉が湧き出します。 ご注意ください。”
わわっ!と飛び跳ねるように足踏みしてしまった。

ご存知、指宿温泉は砂風呂で有名。
まさかここまで来て、素通りする理由もなく、私たちは浴衣に着替え、砂上に寝転んだ。
黒い砂をスコップで掛けられた途端、その重さにより全身の波打つ鼓動を感じる。
じわじわと包まれるような温かさの中、しばらく、間近で鳴り響く波の音を聞いていると、波の音が、次第に遠くなっていくような気がし、いつしか私は少年だった頃、家族で行った夏休みの浜辺にいるような気分になっていた。
同じように、重いだの動けないだの、悲鳴とも歓声ともつかない笑い声を上げた、あの夏の日。
砂を掛けられたのは、あれ以来だった。
気が付けば、童心に返っている自分がいた。
波の音だけが静かに耳へ届き、
時間までゆっくり流れているように感じられる。
ひょっとすると、誰にも声を掛けられなければ、このまま眠ってしまうのではないか。
それほど心地よい時間だった。
パンパンと砂を払い、次に向かったのは、

日本最南端に位置する

西大山駅。
絶妙なタイミングで列車が来てくれたことに、息子よりも私の方が興奮していた。
(いや、はしゃいでいたと言った方が正しいか。)
さて、あれに見えるは開聞岳(かいもんだけ)、別名を薩摩富士とも呼ぶ。
綺麗な円すい形の火山は、どの方角から観ても同じ姿で、現に、

西大山駅近辺(東側)

長崎鼻(南側)

池田湖(北側)

番所鼻自然公園(西側)
と、周辺を巡ってみても、やはり容姿は美しいままであった。
いつか、杯を交わす日
丘から枕崎市が見えた。

カツオの水揚げ港として全国的に知られる一方、芋焼酎の名門酒造がある町でもある。
私は麦焼酎は苦手だが、芋焼酎であれば飲めるという少し変わった好みをしている。

だから、鹿児島に来たならば、どこかの酒蔵にお邪魔したいと思い、ちょうど旅の途中に蔵見学ができる

「薩摩酒造 花渡川蒸溜所 明治蔵」にやって来た。

息子は、

まだ飲めもしないのに、展示を興味深そうに眺めている。

やたらと感心しきりで、

私は、こりゃいつしか杯を交わす日が来るのを待ち遠しいと、そんな未来を、つい思い描いてしまった。

さあ、もう夕刻が近い。
県道34号線を北上する。
およそ10km以上続く茶畑の道は、図らずも、私を道脇に停めさせるのに十分な理由となった。

やはり、開聞岳が奥にあるだけで風景全体が引き締まる。
命がつないだもの
「もしも戦争が、あと半年続いていたなら・・・」
走る車内で私は息子にゆっくりと語り掛けていた。
今は亡き母方の祖父は零戦のパイロットであった。
あまり戦争のことを語らない人であったが、晩年は何か思う所があったらしく、私に当時を語ってくれた。
下関で空襲に遭ったこと。
1945年8月、駅で長崎から逃げてくる人々に会ったこと。
知覧へ向かう途中で、敗戦を知ったこと。

「もしも半年、戦争が延び終わっていなければ、おそらく、ひいおじいちゃんは、ここから沖縄に飛んで行ったまま、帰ってこなかったんだよ。もしそうなっていたら、おばあちゃんも、お父さんも、そして君もこの世に存在していなかったんだ」
「そうなんだ・・・」
衝撃的な事実に、息子は真剣な横顔のまま低い声で答えた。
「だけど、命は繋がった。だからこそ、命の重さを感じながら生きるのと、何も考えず生きるのとでは、天地ほどの違いがある。戦争の悲惨さに比べれば、乗り越えられない苦難など、そう多くはない。」
私は正直、今回のプランの中に知覧を入れるかどうかを最後の最後まで迷っていた。
テーマが重すぎるのではないかと勝手に思っていたからだ。
しかし、息子は正面から受け止めてくれた。
過去があるから今があり、今があるから未来があるということを。
祖父から私へ。
私から息子へ。
命と想いは、こうして少しずつ受け継がれていくのかもしれない。

再び前方に桜島が姿を現した。
あの山を見ながら、私は心から、この旅に来て良かったと思った。

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