北海道へ行くと決めるまで
北海道に行くと決めたのは、興奮冷めやらない「天空の旅 香川」から帰って来てまだ間もない6月も終盤に差し掛かった日のことであった。
濃くも有意義だった3日間を通し、欲の芽が出たというか、その芽はすでに大きく育ち始めていた。
相方の連休が取れたことも後押し、幾つか候補が挙がる中、私の強い希望で北海道に決まった。

ところが、いざ行くと決めたもののなかなか現実味を帯びない。
どこか他人事のような気がして、広大な北の大地をどう巡ろうかという命題に、なかなかスイッチすら入らない。
それに広島周辺の土地ならいざ知らず、東京より向こうとなれば田舎者にとってかなり勇気がいるらしく、それ相当の気合でも入れない限り先に進みそうになかった。
そうこうしているうち日が迫ってきた。
追い詰められないと動かない私にようやく焦りの色が見え始めたのは、ホテルや航空券の残りが僅かになってきてからのことである。
重ねて、本州は目下梅雨のど真ん中。北海道もその影響を受けてか、旅程の全日程に傘マークが綺麗に並んでいる。
揺らぎそうな気持ちを振り払うように、
「エイヤ!」
と掛け声を放ちながら、私は予約ボタンを押した。
初めてのドキドキ
娘のドキドキが伝わってくる。
彼女にとって人生初の飛行機は、轟音を鳴り響かせ、ガタガタと身を震わせたかと思うと、やがて引き絞った弦から一本の矢が放たれたように加速し、ふわりと空へ浮いた。

浮いてしまえば後は急速に高度を上げ、あれよあれよという間に雲の上に出た。
水平に戻ってから窓の外にくぎ付けであった娘が、はっと何かが解けたように振り向き、私の顔を見て微笑んだのが印象的だった。
広島空港から新千歳空港に着いたのはお昼前。
レンタカーを借りてまず最初に向かったのはラーメン屋さん。

北海道に着いたという実感を、まずは胃袋で確かめてやろうという魂胆である。

ご当地で食べる味噌ラーメンは思っていた以上に染みた。
何でも最初に食べたものは記憶に残るし、私も娘程にないにせよ、多少のドキドキから解放され、ほっとした感もある。
全北海道民から、
「ようこそいらっしゃいました旅の方。これが北の味、しっかり味わってね」
と歓迎されているような気分になった。

店を出ると、車は高速に乗り店を出ると、高速道路を南西へ向けて走り出す。
千歳、苫小牧、白老と1時間も走れば登別。

硫黄の匂いに包まれた登別地獄谷は、
クッタラ火山の噴火活動によってできた直径約450m、面積約11haの爆裂火口跡。

数多くの噴気孔、沸出口があちらこちらに見え、

地球の血管がむき出しになり、ドクドクと脈打っているように感じた。

地球の鼓動に触れる
地獄谷から北へ約1km程進んだ場所に、

「奥の湯」、

その隣に爆裂火口跡の「大湯沼」があり、どちらも青空に白い雲を溶かし込んだ色の硫黄泉を噴出し、表面に立ち上る白煙を漂わせていることから温度が高いことが一目で分かる。
それにしても、爆裂火口跡の名前の響きが凄まじい。
これは火山噴出物の少ない水蒸気爆発などで形成された地面がえぐられたような形状を指すのだが、意味を知った上で改めて眺めてみると、大地のエネルギーの集約と拡散が、衝撃とともに迫ってくるようで、ただ、わぁ~とか、うわぁ~とか言うだけで、どうにも言葉にならない。

私たちはこのエネルギーの恩恵に預るべく、

森林を進んでいった。

そこにはやわらかい粘土質の川底の上を、

大湯沼からの源泉が惜しみなく流れる天然の足湯があった。

木陰に流れる川の音は気持ちが良い。

その声を聞き、また、淀みない温かな流れを足で感じていると、心の垢まで取れるような気がして、いつまでも浸っていたい気持ちになった。
北の大地の記憶を辿る
足湯の後は移動し、娘お目当てのクマ牧場に向かうためロープウェイに乗った。
山麓駅から山頂まで全長1260m、高低差300mを約7分で一気に駆け登ると、既に園内は熱気に包まれていた。

隠したエサを熊が見つける度に歓声が起こり、これまで行った動物園の、

のそのそと動いている、もしくは動かないでじっとしている印象は、一体何だったのだろうか。と目を疑う程に活発であった。

このクマ牧場のある四方嶺(しほうれい)は展望台があり、

そこから倶多楽湖(クッタラ湖)を眺めることができた。
約8万~4万年前の火山活動によって形成された、直径3kmあるカルデラ湖は見ての通り綺麗な円形をしている。
過去8,500年間に12回以上の水蒸気噴火が発生している活火山の一部で、巨大な火口地形を思わせる景観は圧巻だ。
その綺麗な円形の見た目からは、とても想像できないくらいの大噴火であったことが伺い知れる。
さて、この山頂に来たいと思ったのは、娘の希望と眺望もあってのことだが、私にはもう一つあった。

展望台から100m南の場所に、「アイヌ生活資料館」があることを事前に見つけており、是非とも一端に触れてみたいと思っていたからだ。
地名に刻まれたアイヌの記憶
恥ずかしながら私はアイヌ民族について、ほとんど何も知らなかった。
北海道の先住民族であることは知っていたが、その歴史や文化については無知同然だった。
今回の旅を機に少しだけ知識を深めることができた気がする。
アイヌ民族は古くから樺太、千島列島、カムチャッカ半島に居住している民族で、中国やロシア、本州と交易をしながら独自の文化を育んできた。

ところが戦国・江戸時代に南からやってきた和人(日本人)と対立し、虐げられ、明治の世になっては、政府の政策により、多くのアイヌの風習を否定され、また、日本語で話すことや日本風の姓をつけることを義務づけられたりと、長い間、言い知れぬ差別や偏見に苦しんできた。
2019年、アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律「アイヌ施策推進法」では、「日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族である」と明記され、近年では認知度も高まり、国内外へ向けて、誇りある文化や伝統が発信されている。

ところで、北海道はアイヌ民族が呼んでいた地名が今をも残る。
文字を持たない文化であったが、地名を聞けば、そこがどのような場所であるのかが分かったという。
例えば、
札幌 サツsat・ポロporo = 乾いた・大きな・(川・河原)
小樽 オクota・オルor・ナイnai = 砂浜の・中の・川
室蘭 モmo・ルエラニruerani = 小さい・坂
女満別 メムmem・アンan・ペツpet = 泉池が・ある・川
夕張 ユyu・パロparo = 温泉の・出口
稚内 ヤムyam・ワッカwakka・ナイnai = 冷たい・飲み水の・川など。(→ 北海道アイヌ語地名辞典より)
ちなみに、今いる登別は、ヌプルnupur・ペツpet =(温泉のために)濁った・川であり、倶多楽湖(クッタラ湖)は、植物の虎杖(いたどり)の多い所という意味。
また、アイヌ語が日本語に溶け込んだ単語もあり、「昆布」「鮭」「シシャモ」「トナカイ」「ラッコ」などがそれにあたる。
今後訪れる地名や名所でアイヌ語があれば【 】で記載しようと思う。
色々な資料から感じたことは、神(カムイ)を敬い、自然への感謝を忘れない、純粋な心を持つ人たちなのだと思った。

憧れの白濁の湯
「登別の湯」に入ることは、子どもの頃からの憧れであった。
だから、温泉入浴剤の定番である白濁の湯は、本当にそんな色をしているのか、この目で確かめてみたかったし、ザ・ドリフターズの楽曲「いい湯だな(ビバノン・ロック)」の歌詞に出てくる情景とはどのようなものかと、いつか、いつか一度でいいから、想像の中で広がり続けていた世界に、一度でいいから浸かってみたかったのだ。
私としては時間が押していることは重々承知であった。
だが、ここを外してはせっかく北海道まで来た甲斐がないと、ロープウェイ山麓駅から近い「温泉銭湯 夢元(ゆもと) さぎり湯」ののれんを心躍りながらくぐったのである。

ガラリと戸を開け、浴場に入ると、澄んだ硫黄の香が出迎えてくれた。
体を洗うのもそこそこに、湯舟の前に急ぎ立って眺めてみる。
やはり湯の色は白かった。
興奮と湯気に包まれながら足を浸けると少し熱めで、一瞬飛び上がりそうになりつつ、唸りながらゆっくり肩まで体を沈める。
なるほどなぁ。
心の奥から声が出た。
いくらテレビで見たとしても、北海道物産展に行ったとしても、本場の雰囲気は本場でないと味わえないものなのだとしみじみ思った。
体全体が北海道の大地に溶け込んだみたいで、すっかり気持ちが良くなった。
気分が良くなったついでに、「ここは北国 登別の湯♪」と周りに気付かれないよう小声で歌ってみた。
17時を回り、向かう宿泊先は北湯沢なのだが、室蘭にも足を延ばしたくなった。

そこで高速道路を走り継ぎ、辿り着いたのは、地球岬。

室蘭はかつては石炭の積出港で発展し、1900年代に入ってからは製鋼、製鉄など、「鉄のまち」として発展した。
これまでのどかであった風景も、ここだけ、いきなり現れた工業都市だなと感慨にふけりながら白鳥大橋を渡り、最後は急ぎ足ながらも1日目は終了した。




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