小豆島の風に乗る
2日目の最初に訪れたのは「道の駅 小豆島オリーブ公園」。
大抵、道の駅に寄る目的はお土産であるから、普通に考えると、このタイミングでの購入は荷物になる。
よって、最終日の朝一番に立ち寄る場所ではない。
包み隠さず書けば、ここに来た目的はお土産ではなく空を飛ぶことにあった。
同じ敷地内にある「オリーブ記念館」では、魔法のほうきを借りることができるのだが、

とは言え、何十本もある訳ではないので先着順となる。
案の定、私たちの番で残りの在庫がなくなった。
そう考えると、このルート選択は正解だったと言えよう。
事実、約1時間後にほうきを返しに来た時は、ずらりとほうき待ちの列ができていた。
さて、もっともな話なのだが、「魔法のほうき」には飛び方の説明書が付いていない。

よって、どうやってコツを掴むのかは各々に任される。

まっ、どうにかなるさと、

ぎこちなくぴょんぴょん跳ねながら歩いているうち、気付けば辺り一面に約2,000本のオリーブ畑が広がっていた。
収穫期は9月中旬から11月頃らしく、当然ながら私たちが訪れた3月の木々には実は残っていない。
見渡す限り銀緑色の葉が揺れているばかりである。
そんなオリーブ畑の向こうに、小豆島のシンボルであるギリシャ風車が見えてきた。

悪戦苦闘する私たちを見かねて、映画「魔女の宅急便」の主人公キキが、
「私が初めて空を飛んだ時はこうしたのよ」
と、手ほどきして欲しかったが、そもそも魔女の血が流れてないので容易ではなかった。
それでも、何度か挑戦しているうちに、少しずつコツが掴めてきて、

そして海からの風が吹いた瞬間、私たちはようやく小豆島の風に乗ることができた。

見えない一味
どこの土地でも、その土地ならではの食文化が存在する。
ここでは島を代表するオリーブを味わうことも目的の一つであったが、胃袋にはもう一つのお目当てがあった。
小豆島そうめんである。

小豆島そうめんは、奈良県の三輪そうめん、兵庫県の播州そうめんと並び、日本三大そうめんの一つに数えられる。
しかし、そう言われながらも不思議と今まで口にする機会がなかった。
そこで、味わうだけではなく、そうめんそのものをつくる伝統的な製造工程にも触れてみたいと思い、

「なかぶ庵」にやってきた。

江戸時代、小豆島の人々が伊勢参りの帰路に三輪へ立ち寄り、そこで学んだそうめんづくりの技術を持ち帰ったことが、小豆島そうめんの始まりとされている。
そんな話を聞き、また、どうやって作られていくのかの説明を聞いた後、工程の一部分である「箸分け体験」へと移った。

まずは、弾力のある麺を手前に引き、

ぐっと引き延ばしたところで、いよいよ「箸分け」の段階に入る。
これは、そうめんを乾かす工程で、長い箸を使ってくっついた麺を離す作業だ。
一本一本が均等に乾くよう間隔を整えるために欠かせない工程らしい。

「どう?上手にできたでしょ」

と、照屋な娘は人前で口にはしなかったが、満足げな顔がすべてを語っていた。

最後に併設された食事スペースで、少し太めでコシのある白いそうめんと、鮮やかな緑色のオリーブそうめんを味わった。
これまで知り得なかった体験を通し、見えない一味が加わったような気がした。
時代を越える瞳
旅の直前になってから、映画を観ずして訪れるのはどうかと思い、高峰秀子主演の「二十四の瞳」を初めて観た。
白黒映画で画像も鮮明ではない部分もあったが、観ながら、私はとんでもない勘違いをしていたことに気付かされた。
単に子ども達の成長を見守った心温まる物語だと思っていたのだが違った。

実際の「二十四の瞳」は、小豆島に赴任してきた先生と12人の子どもたちの交流の物語でありながら、戦争の悲惨さと平和の尊さを静かに、そして力強く伝える作品で、今の世と比べながら考えさせられる内容にずんと心へ残るものがあった。

映画の舞台となった「岬の分教場」と「二十四の瞳映画村」を巡ったのだが、私が一番印象に残った場所、いや感動し思わず目頭が熱くなった場所は、「岬の分教場」の教壇に掛かっていたホワイトボードであった。

「教師から教師を目指す人たちへ宛てたメッセージ」に寄せてあったのは、「二十四の瞳」に触れた全国の現役の先生たちによる意思表明であり、先生たちから次の世代の先生たちへ繋がれていくエールであった。
短い言葉の中にも並々ならぬ情熱と魂が籠っているのが伝わってきた。
だからこそ、その一つひとつの言葉が胸に響き、
気付けば私は教壇ではなく、ホワイトボードに見入っていたのである。

私は先生と聞くと今でも背筋がピンとしてしまう。
それだけ影響を受けた恩師も多い。
先生を目指したことはないので、とても伺い知ることはできないが、子どもに教えるというのは簡単そうで簡単でないことはなんとなく分かる気がする。

私がこの二つの場所から感じ取ったのは、戦争の悲惨さだけではなく、
その先にある、前を向き未来へ歩もうとする幾多の瞳であった。
木桶が育む伝統の味
今まで様々なソフトクリームを食べてきたつもりだが、天然醸造蔵の木桶(こが)で仕込んだ

生しょうゆを使うという発想には驚かされた。
やってきたのは、「マルキン醤油記念館」。
これまで小豆島の特産である、オリーブ、そうめんに触れてきたが、もう一つ挙げるとすれば、やはり醤油の存在は欠かせない。

小豆島の醤油造りは、文禄年間(1592~1596年)に、大阪城築城のため訪れた人々が持ち込んだ「醤油の前身」がきっかけとされ、その製法を紀州・湯浅で学んだことから始まった。
江戸時代には島外への出荷が本格化し、日本を代表する醤油の産地へと発展していく。
発展した理由は、良質な塩の産地であったこと、瀬戸内海の海運に恵まれ大阪などの大消費地へ運びやすかったこと、九州との醤油の原料である大豆や小麦の交易、温暖で乾燥した気候、そして島民の進取の気性や幕府直轄地(天領)という比較的自由な環境など、複数の条件が重なったためだ。

江戸時代後期には京阪神への出荷が本格化し、全国へ販路を拡大。
明治時代には業者組合や醤油醸造試験場が設立され、品質向上や醸造技術の発展が進み、さらに明治40年(1907年)にはマルキン醤油が誕生し、小豆島醤油は全国的なブランドへと成長した。
(小豆島醤油協同組合HPより引用)

いかにも特産の島らしい100年以上の醤油蔵が続く風景の先に、「第4号天然醸造蔵」はあった。

ここは人工的な加温や冷却を一切せず、自然な状態で発酵・熟成させている蔵で、秋田杉を使用した木桶(こが)が4列、153本並んだ光景は壮観。
ほのかに漂う醤油の香りは、私のDNAを懐かしくも心地よい領域へと誘った。

昔から私たちの食卓に、ごく当たり前に並び続けてきた醤油は、煮物や炒め物、汁物、漬物、さらにはタレやドレッシングのベースとして、素材のうま味を引き出し、色と香りを添えながら、日本の食文化を支えてきた。
その歴史を静かに守り続けてきた島が、小豆島だった。
旅の始まりと終わりの場所
旅の最後に寄ったのはエンジェルロードであった。

元々、この風景写真を見たことで旅は始まったことだから、
「フェリーに乗る前にもう一回行くか?」
との問いに返事を待つ間もなく、娘は飛び上がって喜んだ。

やはり、娘にとって思い切り体を動かせること自体が嬉しかったのであろう。
先頭を切って歩き出し、再び現れた砂の道を確かめるようにしながら、

自然が生み出す奇跡を、その小さな体で存分に味わっているようであった。
その後ろ姿を眺めながら、旅の始まりも、そして締めくくりも、この場所で迎えられたことに、不思議な縁を感じずにはいられなかった。
旅色を重ねて
話は少し戻るが、エンジェルロードに行く前に、「道の駅 小豆島オリーブ公園」に寄った。
滅多に来れないのを理由に、そうめんやオリーブにまつわるものを購入したが、中でも、園内で見つけたオリーブの葉をしおりにしたものは、娘にとっても家族にとっても小豆島の一番のお土産となった。

本当はハート形の葉を探したかったが、時間があと少し足りなかった。
しかし、この一枚の葉っぱに勝るお土産はない。
なぜなら、いつでもアルバムを開けば見ることができるのもそうだが、
いつまでも褪せない思い出がぎゅっと一枚の葉の中に濃縮されているからだ。
17時に出航した船は、

次第に紅に染めてゆく景色の中、カモメに見送られながら、

波をかき分けてゆく。

今回の旅で、小豆島の豊かな自然と特産品に触れ、この島が育んできた文化の奥深さを知った。
そのことで、私たちが暮らす瀬戸内海が、以前よりもずっと身近に感じられるようになったのは確かである。
これからも私たちの中の地図に、新しい旅色を重ねていきたい。




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