山は早朝に限る
弟は大学生の時にワンダーフォーゲル部に所属していた。
その経験から、少なからず山の素晴らしさと恐ろしさの両方を熟知しているようで、今でも弟家族で山登りをするらしい。
稀に私と会った時、
過去の山登りの話を身振り手振りで話してくれたこともあったが、普段登山などしない私にとっては一切の実用性を感じず、何やら別世界の話を聞くようで、まるで頭に入ってこなかった。
だが、興味がないような話の中にも一つだけ妙に響いた言葉があった。
「山は早朝に限る」
急に真面目な顔をし、重みを含めながら喋ったので思わずギョとした。
やはりそれでも表面上だけで中身はうる覚え程度、むしろ表情とその一言が印象的だったので、そこだけが記憶に残った。
今回、新穂高の地に立ち、ようやく弟が伝えたかったことが初めて分かった気がする。

走っていた谷沿いの道も、いよいよ行き止まりに近づいたような場所に、新穂高ロープウェイ乗り場があった。
ここから乗り継ぎながら標高2156mへと一気に駆け上る。

途中、今まで仰ぎ見ていた山々が目線の高さに追い付き近付いてくると、ひと際、天を衝く北アルプスのシンボルである槍ヶ岳に自然と目がいった。
これまで何度も娘と遊び歌った「アルプス一万尺」の 小槍の上で~♪
の槍ヶ岳とはあのことかと思うと、とがった一角が、ひときわ燦然と輝いて見えた。

到着した西穂高千石尾根。
降りた途端、地上との気温差10度の涼風が頬を撫で、まず別世界に来たことを肌で知らせてくれる。

次にデッキに近付くと、錫杖岳、笠ヶ岳、抜戸岳、双六岳、鷲羽岳、槍ヶ岳、西穂高岳などの
眼前迫る大パノラマに加え、雲と一緒に浮かび、雲より上にいる不思議さなど何とも言えない高揚感が、全身を震わせながら包み込んだ。

眺めていくうち、視覚やら、聴覚らすべての感覚一切が澄んでいくのが分かる。
心底、自然は偉大だなと深く感じ入った。

思う存分、風景写真を撮ったら、今度は家族で訪れた証が欲しくなった。
近くにいた年配の男性にお願いすると快くカメラを受け取ってくれたのだが、受け取る際、
「おたく、もしかして広島の人?」
と、覗き込むよう聞かれたから驚いた。
返事をすると、以前転勤で隣の廿日市市に住んでいたとのことで、どこかしら聞こえてきた会話の中に、懐かしいイントネーションを見つけたらしい。
日本は意外に狭いと思った方が良いのか、私の広島弁が濃いのを自負した方が良いのか。
いずれにせよ、この出来事よりも、更に驚くべきことがあった。
展望台の滞在時間は次の目的地へ行くことも考え、それ程長く設定していない。
到着後30分も経っていない頃であろうか、お土産屋などを巡り、さあ、帰りのロープウェイに乗る前にもう一度、絶景を目に焼き付けようとデッキに出た矢先、先程の風景が一変してしまっていた。

北アルプスの山々が雲隠れどころか、展望台自体が白く包まれ視界が利かなくなってしまった。
この時、弟の言葉を意味まではっきり思い出したのだ。

山は早朝に限ると言ったのには、勿論、山の天気が崩れやすいので日暮れ前に下山しないといけないことや、あらゆるトラブルに備えて、早朝から動けという教訓もあるだろう。
しかし、弟が強調したかったのは、太陽が上って空気が暖められると上昇気流が起き、雲が発生しやすくなるため、景色を楽しみたいのであれば、早朝だと言っていたのだ。
その時には思い出しすらしなかったが、以前に体験した御殿場、箱根、三島の早朝に見えた富士が、忽然と消えたのも、もしかすると同じことが当てはまるのかもしれない。
ともかくも、雲の上に出、雲の中に包まれるという経験を短時間で味わうことができたのは、非常に運が良かったと思えるし、娘にとっても貴重な体験だったに違いない。
誰と味わうか
旅の楽しみの一つに温泉がある。
記憶に残る温泉に出合えれば、まず生涯忘れることはないだろう。
過去で一番記憶に残っているのは、効能よりも誰と一緒に入ったかで、父と浸かった松本、草津、息子と入った屋久島は会話まで思い返される。
一人で入った場合は、かけ流しや、性質は何であるか、熱い、ぬるいなど細かいことはあったとしても、最終的には色、香り、雰囲気の3つが揃ってさえいれば映像として残る。
私の記憶に残る映像とは、無論、私が感動した瞬間に目に映っている風景だ。
新穂高の周囲10km内を見渡せば、標高約900~1200mの深く細長い谷に沿って、奥飛騨温泉の名にふさわしく、栃尾、新平、福地、平湯などの温泉地が、活火山の焼岳を熱源とし、それぞれ豊富な湧出量を誇りながら点在している。
熱源を同じくしても、地質などの違いにより特徴が変わり個性が出るらしく、

平湯温泉「ひらゆの森」では、昨夜宿泊した新穂高温泉が無色透明であったのに対し、

薄い煙をかき混ぜたように白く濁っていた。
その湯の中、白い綿の切れ端がいくつも漂っており、これが噂で聞いた温泉の不溶性成分「湯の花」かと、初めての出合いに、両手ですくうことを飽きることなく繰り返した。
さて、温泉には熱さに関係なく、のぼせやすい湯と、のぼせにくい湯がある。
意図せず時を忘れ長居してしまう湯はどちらであろう。
ほのかに硫黄の香りが漂う中、うすら白磁色に身を沈め、目線の先に青き飛騨山脈。
映像に残らぬはずがない。
もう一つの楽しみに、郷土料理がある。
行く先々で感心させられた。
美味しいに加え、驚きの連続であったからだ。

金沢では娘が海鮮が食べたいと入ったお店で、
メニューを見せると、北陸の海の幸が盛り付けてある写真を躊躇せず選んだ。
違う意味でも驚いたが、せっかく金沢に来たからという言葉に、はなはだ弱い。
頬張る笑顔は見ているだけで、こちらが幸せになった。
白川郷では、

飛騨牛、骨まで食すことができる虹ますの甘露煮にも驚いたが、

何よりも朴葉(ほおば)の上で焼く朴葉味噌は、味噌が主人公というのも珍しく、

香ばしさが鼻をくすぐると、次第に箸を口に運ぶペースが上がった。
奥飛騨から高山へ向かう道中、

築240年の合掌造りで食したのは、

自然薯をふんだんに使った雑炊で、山の暮らしの味を存分に味わった。
冒頭の続きで、一人きりでじっくり味わうも良いだろうが少し心細い。
私の中では誰と食べたかが一番重要で、例えば、後で見返すたった写真一枚から、味と一緒にどんな会話をしたまでをも、写真には残らない思い出まで、記憶に留めることができるのは幸福なことだと思う。
しみじみ、「旅は道連れ世は情け」の言葉にある通り。
娘の初浴衣
飛騨の名前の由来は、山が襞(ひだ)をなして連なっているからとも、田舎を意味する「ひな」に由来するともいわれている。
ちなみに、高山市が飛騨高山と呼ばれているのは飛騨地方の中心にあるためだ。
また、この旅のタイトルを「飛騨高山の旅」としたのも、旅のちょうど真ん中にあたるからだし、飛騨高山という響きそのものに何かしら憧れていた感があった。
その飛騨高山。
天正14年(1586年)飛騨国の大名となった金森長近は、全国から商人を飛騨に招き城下町を整備し、豊富な木材、鉄や金の鉱山を産出させ国を豊かにしていった。
だが、突如、6代目国主 金森頼時の時代に国替えを命じられ、元禄5年(1692年)からは幕府の直轄領となる。
おそらく幕府からすれば、小国ながら資源に恵まれた飛騨資源が溢れる飛騨は魅力的に映ったのだろう。
しかしながら、飛騨高山が魅力的に映ったのは江戸幕府ばかりではない。
時代は違えど、現代の日本人や外国人は惹いてやまず、訪れる観光客数は右肩上がりだ。

何故こんなに交通が不便な場所に多くの人がわざわざ足を向けたくなるのだろう。
考えるに日本中のどこにも残っていない昔の風情が残っているからではなかろうか。
だから、時間とお金をかけてまで行く価値がある目的地となったのだと思う。
私も旅前に下調べをするうち、江戸時代から残る素敵な木造の町並みの中を歩いてみたいと次第に思いを強くした。
そして、浴衣を着て歩けば、きっと忘れられない思い出になるだろうと、ここ飛騨高山を娘の初浴衣の場所に決めたのだ。

娘は予約してあった呉服屋の鏡に映る普段とは違う姿に、恥ずかしいやら、くすぐったいやらで、目が合う度に、はにかむ顔をどうにも隠せない様子であった。
人が喜ぶ姿を見るのは他人であっても嬉しいが娘となればひとしおで、
「お父さんが一番喜んでいるね」
と店員さんに不意を突かれ、危うく浴衣と同じ色になるところであった。
尚、浴衣姿の娘を引き立てるため、私は普段着である。
まずは高山陣屋へ向かった。

江戸時代における陣屋とは、政庁、つまり役場で政務を行う場で、高山陣屋の場合、飛騨支配のための執務を行う場所であった。

私はこれまで陣屋跡であったことを示す立て看板だけを目にし、よく読まないまま、大名の宿泊施設のようなものだと思っていたが、

全国に60数ヶ所あったといわれている代官・郡代所の中で、当時の主要建物が残っているのは、この高山陣屋のみだと知り、改めて陣屋とは何か、そして現存することの貴重さを初めて知った。

参考
恵那川上屋「飛騨高山とは?その由来や歴史、楽しみ方をご紹介」より引用
「高山陣屋ホームページ」より抜粋・引用
風情の正体
高山の古い町並みを歩いていると、時の流れまで穏やかになったように感じられた。

それは交通量が少ないとか、人通りが少ないことや道幅が狭いことも大いに関係するが、いきなり袖を掴まれ、一気に江戸時代のど真ん中へ引き込まれたのは、

やはり風情そのものであろう。
まず何より、木造りの建物は温もりと優しさに溢れ見ているだけで安堵し、また、白川郷でもそうであったように、用水路に豊富な水が勢いよく流れる様は、あたかも涼やかな風を起こした自然の 水うちわにでも仰がれた気持ちにさせられ、その風に揺れる家先のさり気ない緑は涙ぐむほどに美しい。
これらを視界に入れながら少し遠目に立ってみれば、8月の夏らしい山と空の色が最後の仕上げをしてくれる。

上一之町から上三乃町、下一乃町から下三乃町などの町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、城下町、商人町として発展した面影を今に残している。

茶色の杉の葉を玉にした「酒ばやし」が吊り下がった老舗酒屋、色鮮やかな和雑貨、木目が美しい伝統工芸品店などが軒を連ね、少し進んでは、店に入ることを繰り返した。

おそらく風情とは元から築き上げられたものだけではなく、昔からの景観や文化を重んじ守り残そうとする心そのものに他ならない気がする。
この風情の中に溶け込みたくて、旅行者はやってくるのだと思った。

この日は祭りがあったらしく、私たちは交通規制をかいくぐりながら、薄暮の道を約50km飛騨川に沿って南下し、星々に包まれる頃、ようやく本日の宿地である下呂へと辿り着いた。




コメント