星降る朝
私はこの日、生まれて初めて地上から宇宙を覗いた。
あれ程まで数えきれない幾千の星が、一斉にまたたくのを見たことがない。
広島で見える夜空と言えば、一等星がぽつんと輝き、その向こうにまた一つと、大空という舞台をいっぱいに使い、主役を張っているイメージだとすれば、屋久島のバス亭から見た星空は、一粒一粒まるで小さな金貨を所狭しと敷き詰めたようで、それぞれが主役であった。
星がこれほど鮮やかに見えるということは、それだけ縄文杉トレッキングの出発が早いということでもある。
4時にガイドさんに迎えて来てもらってから、5時発の登山口行きバスに乗る。
どうしてシャトルバスに乗らなくてはいけないかというと、春から晩秋までの期間は、環境負荷の軽減と混雑を防ぐため、荒川登山口まで一般車両の乗入れを規制しているからだ。

ガイドさんと3人で6時に出発。

早速、道中唯一のトンネルに入り、屋久島がおよそ1,550万年前に現れた花崗岩でできた島だと教えてもらう。
この花崗岩こそ、後に出合うこととなる屋久杉の成長に大きな影響を与えるのだが、

まだそれは、もう少し先の話で。

道は線路の中央に板を敷き詰めたトロッコ道をゆく。

今は伐採は禁止され、たまに整備用でしか使われていないトロッコだが、一昔前までは、伐採の主力として、港までの往復を盛んにしていた。
トロッコ道以前にも、屋久杉は船材・建築材など様々な形で製品化され、多くは平木と呼ばれる屋根材に加工され出荷されていた。
また平地が少なく耕作面積が少ないため、薩摩藩に年貢として、平木を納めていた時期もある。
そういう歴史の上を、トントントンと乾いた音を響かせながら進んで行く。

全行程22kmの道のりは、まだ始まったばかり。
千年の時を歩く
朝日が、

木々の間から差し込んできた。

冷えた朝特有の空気と、湿った森独特の香りが鼻の奥をくすぐる。

そろそろこの辺りから、

樹齢1,000年以上の切り株がゴロゴロと役目を終えた切り株が、道沿いに佇んでおり、伐採の歴史を物言わず語っていた。
そんな中、樹高約40mもある

三代杉が現れる。
案内板には、

一代目の倒木の上に二代目が育ち、二代目の切り株の上に三代目が育っています。
それぞれ 「倒木更新」「切株更新」 などといわれています。
諸説があって明確ではありませんが、一代目の樹齢はおよそ1,200年、二代目が1,000年、3代目が350年といわれています。
とあった。
もはや時間の感覚がよく掴めないが、

とにかく、途方もない時間と代を重ね、すらり天高く伸びている姿は、それ自体が生命の塔とも言うべき、畏敬の念を感じさせた。
やがて、

8km続いたトロッコ道は、

ヤクザルとの挨拶を交わした後、

終点を迎え、ここから先は、いよいよ屋久杉までの登山道となる。
森がくれた休息
ここから一気に傾斜がきつくなった。

先程までの

緩やかだったトロッコ道が懐かしく思えた。

縄文杉まで残り2.4kmだというのに、

呼吸は荒くなるばかりで、もしかしたら同じ道を同じ場所をぐるぐる歩いているような気さえした。
巨木ばかり見ているうちに、距離感覚まで麻痺してしまった。

そんな疲労困憊を吹き飛ばしたのは、樹齢3,000年を超える切株、

ウィルソン株。
1914年に調査し、広く世界に屋久杉を紹介したイギリス人の植物学者、アーネスト・ヘンリー・ウィルソンに敬意を払ってこの名が付いた。

切株の中へ一歩足を踏み入れると、外の森とは別世界だった。
湧き水の音だけが静かに響き、まるで木そのものが呼吸をしているように感じられた。

私たちは感嘆の声を上げながら、自然の造形美に、しばらく時を忘れ見入っていた。
森を知る人
屋久杉について、もう少しだけ触れておきたい。

私が勘違いしていたのは、杉を見れば、どれも屋久杉だと思っていた。
しかし、そうではなく、樹齢1,000年以上経過しなければ屋久杉とは呼ばれないらしい。
1,000年未満のものは、小杉(こすぎ)と呼ばれ、分けられる。
この点、例え999歳だろうが、100年も生きることが難しい人間に、「あなたは小杉だね」と、若者扱いされる所が面白い。

また、屋久杉は栄養が少ない花崗岩の上にゆっくり育つため、年輪が詰まりに詰まっている。
ガイドの水澤さんが指さした先にあるのが、

土埋木(どまいぼく)。

伐採がされていた時期に、
利用されなかった枝条や幹、根株はそのまま林内に放置された。
屋久杉は樹脂を多く含んでいるため、200~300年経った現在でも、腐ることなく残っており、これらの残材を土埋木と呼んで、搬出され、屋久杉工芸品として店に並んでいる。
驚いたのは、これだけ大きい姿をしているにも関わらず、明日の出航前に寄った土産店で手に取った定規やペン、お椀、カップなどが想像よりはるかに軽かったことだ。
千年という重みを想像していただけに、その軽さは意外であった。
屋久杉のことを知れば知るほど、この森はガイドさんなしでは見えてこなかったのだと気付かされる。

さて、大王杉を過ぎ、これから世界遺産エリアに入る前に、

終始丁寧な説明をして下さった水澤さんをご紹介。
今回、22kmという長い距離を歩くにあたり、不安を覚えた私は、前もって電話で専用ガイド依頼をしていた。
書ききれていないので大変申し訳なく思っているのだが、嬉しかったのは、花や生き物、山の名前、これまで私が知っているつもりでいたことも、こと細かく教えて下さったことだ。
さらに、高所恐怖症の息子(私もそうだが息子程ではない)は、水澤さんがいなければ、最後まで歩き通すことはできなかったと告白する。
ペース配分、気遣い、心遣いは抜群で、とにかくも、絶大な安心感は、依頼して良かったと思うことばかりであった。
そうすることで、できた心の余裕がなければ、

手をこんな風に当て、感慨にふけることもなかったであろう。

さあ、目的地はもう目の前に迫ってきている。
言葉はいらない
樹齢7,000年以上とも言われる縄文杉。
この1本の木を見るために、ここまでやって来た。
月に雨が35日降る・・・と小説に出てくる屋久島の晴天を願い、週間天気予報と睨めっこした甲斐あってか、幸いなことに、当日だけでなく、旅全体が好天に恵まれた。

感謝という一言では足りない。
ところで、階段を上った時の感想だが、

” 目の前に広がった光景がそのまま心へすっと素直に入ってきた ”
が、これが一番正直な感想だった。
後は何を書いても蛇足になりそう。
それ程に、縄文杉は偉大であった。

あまりに淡白な感想に、拍子抜けしたかもしれないが、これは現地に行ったら必ず理解してもらえるものだと確信している。
ドン!
と、満足したせいか、疲労が雪崩のように私たちに襲い掛かってきた。
情けないことにヘナヘナと座り込んだ2人は、しばらく動くことができなかったが、

お弁当と、

水澤さんが用意してくれた温かい味噌汁で回復することができた。
元来た道を同じ時間を掛け、

歩き、歩き、ひたすら歩いて、

途中で休憩を取りつつ、

立ち止まりつつも、
最後まで歩き切って、

10時間に渡る縄文杉トレッキングはこうして無事終了した。
時間旅行
船が岸を離れた時、

何とも言えぬ感情が沸き起こっていた。
私たちはどれほど幸運な巡り合わせだったのだろう。
この度、縄文杉を始め、様々な自然の偉大さを目で見、肌で感じることができた。
しかし、これは移ろいゆく時間の、ほんの一瞬を垣間見たに過ぎない。
それを今回紹介できていなかった2010年9月で倒れた翁杉や、同じく倒れた仁王杉の吽形、倒木の危険がある大王杉のコース変更などを見て教えられた。
台風などの大風、木の空洞化に伴う自身の重みで、いつそうなるかもしれない。
たまたま、私たちは立ち続ける屋久杉を見れた。

しかし、また訪れる機会があったとしても、もうそこにはないかもしれない。
つまり、私は自然の中で生かされているのだと強く思い知らされた。
これが全てのような気がする。
それともう一つだけ。
私は息子に感謝を述べなければならない。
元々、屋久杉は20代の初め、私が初めに買った本、日本の絶景100選で、当時行きたい場所の一位であった。
ところが、いざ会社で働き始めると、場所が場所だけに、なかなかまとまった休日を取ることができず、ズルズル時間だけが経過していき、いつしか、体力的な心配もあって、自然とリストから外れてしまっていた。
そこに息子の一言があって、再び私の心に行きたい!という気持ちに火を点けてくれた。
「仕方がない、連れて行ってやるよ」
と言って、連れてきたつもりが、実は連れて来てもらっていたことに、帰りの船の上で気付かされた。
ともあれ、お陰様で4泊5日の鹿児島親子旅を無事終えることができた。
息子にとってこの数日間が、
「高校を卒業した時、オヤジと一緒に行ったんだ」
と、何十年経った後に、なんとなくでも、どこかの時間に戻ることができたなら、父としてこれ程嬉しいことはない。





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