日本の大地、その交差点
こんなに日本の成り立ちに大きく関わりのある県は、他を見渡してもそうはない。
長野県は有名な構造線が2つ通る。

一つは九州から伸びる中央構造線。
そしてもう一つは、太平洋から日本海まで伸びる糸魚川静岡構造線。
同じ構造線という呼び名でありながら、成り立ちはそれぞれ違う。
この日本を代表する二つの異なる地質構造が交わる場所、それが諏訪なのだ。
言い換えれば大断層の大交差点上に位置する。
ついでに、糸魚川静岡構造線はかつて日本が大陸から離れ2つに分断された時の西端で、そこから東はフォッサマグナ(大きな溝)に土砂や火山噴出物が堆積した地が広がる。
堆積といっても、地図で見る限り高い山々が断続的に続くため、巨大な溝があったとはにわかに信じ難い。
だがそれは現在の地図を眺めた場合のことで、伊豆半島の衝突や、その後の火山活動による堆積も、何億年も前、世界が一つの大陸だった時代まで時間を巻き戻せば、なんら不思議なことではないのかもしれない。
そういう意味で日本の地殻エネルギーが集まる諏訪は神秘的だ。

だからなのかは分からないが、中山道と甲州街道が出会い、諏訪大社があることも合わせると、なお興味深い。
その諏訪大社。

湖周辺に上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の4つを総称して諏訪大社と呼ばれ、国内にある最も古い神社の一つとされる。
伊勢神宮のように参拝する順序があるのかと思ったが、特にないらしい。

まずは下社秋宮に行ってみた。
岐路に立って
御柱祭(おんばしらさい)とは寅と申の年に行われる式年祭のことで、宝殿を造営し、社殿の四隅に巨木を建て替える祭りをいう。

巨木は山中から人力のみで運ばれ、

木落とし坂を氏子を乗せた巨木は、勢いよく滑り落ちてゆく。
その映像は「おんばしら館 よいさ」で観たが、坂ごと猛牛駆け下るが如くであり、祭りの最高潮に相応しく、見ているこちらまでも血がたぎるようであった。

秋宮からほど近い下社春宮も同様に祭りを行う。
春宮から徒歩5分、川沿いを進んでゆくと田んぼの中、

阿弥陀様が刻まれる 万治(まんじ)の石仏。
その名の通り、「万(よろず)のことが治(おさまる)」とし、案内板には物事をばんじまるく治めて願いを聞いてくれる石仏と書かれてあった。
さて、そろそろ列車の時刻が近い。

レンタカーを返し、
駅近くの店で、名物 山賊焼きを慌てて食べた後、急ぎホームに出た。
ここ塩尻は分岐する駅である。

左に行けば甲府、果ては東京へと続く。
片や右に行けば名古屋へと続くのである。
岐路とはそういうものかと思った。
人生もそのような気がして、
松本方面から入ってきた列車に乗る前、シャッターを押すべくして押した。

父からの手紙
長野県は山口・広島から見れば遠い。
計画を立てる際、土地勘も距離感も掴めないがために、どれくらい時間を要するか地図上では全く見当が付かなかった。
考慮したかったのは父の足、娘の体力で、2日目の川中島古戦場跡、善光寺では歩きが多い行程にせざるを得なかったため、これまでの負担を考え、3日目後半は敢えてドライブにした。
それでも時間と体力があればどこかに寄ろうと余白を残したはずであったが、しかし長野県は想像以上に広かった。
最終的には旅程ギリギリの中に何とか納まり、誰も不調を訴えることなく無事故であったことは、ひとえにお陰様としか言いようがない。

旅を終え、父から手紙が届いた。
表題には「まほろばなるプレゼントを有り難う」とあった。
「まほろば」の言葉を使ったのは、諏訪の旅館で食事をした部屋から取ったものだとすぐに分かった。
素晴らしい所への旅という意味で使ったのだろう。
まさに父の言う通りであった。
家族が一緒になって行動し、宿泊し、同じものを見て感動する。
後になって、その時はこうであった、娘がこう言って皆を笑わせたなど、こうして共有できる思い出が増えたことは、何よりの財産になったと思う。
とにもかくにも、

私たちにとって信州はどこか憧れの地であった。



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