火山と共に生きる
昭和新山の凄さは、何万年、何千年前の火山ではなく、ごく最近できた火山であること、そして、その誕生の過程が記録として残されたことではなかろうか。

昭和18年の噴火活動で元々、平坦な麦畑であった場所が隆起し、約2年をかけて溶岩ドームが形成され、新たな山が現れた。

それを郵便局長の三松正夫さんが、地震発生から噴火、活動停止までを記録したお陰で、貴重な火山の成り立ちを知ることができる。

その昭和新山ができるきっかけになった山が有珠山の噴火だ。
【アイヌ語 噴火湾沿岸である ウㇲ(入江)に由来】

最近では100年間に4回も噴火した。

1910年(明治43年)噴火では明治新山を形成、洞爺湖で温泉が湧出。
1944年~1945年(昭和19年~20年)噴火では昭和新山を形成。
1977年~1978年(昭和52年~53年)噴火では有珠山頂で大噴火。
2000年(平成12年)噴火では事前の噴火予告により避難、死傷者なし。

特に心を引かれたのは、事前予知によって死傷者が出なかったという事実ではなかろうか。
後で行った火山科学館 洞爺湖ビジターセンターで学んだことだが、有珠山は約30年に一度の噴火を繰り返していたため、噴火データが多い比較的「噴火予知のしやすい火山」として知られる。
火山性地震や断層探査に基づき、緊急火山情報を発令したことにより、1万人余りの避難を噴火までに実施することができた。

ドラマ仕立てのシアターを見ながら、先人たちの知恵と、常日頃からの危機意識が、迅速な避難行動につながり、多くの命を守ったのだと感じた。
また、アイヌから伝わる自然の畏敬もあったのではないかとも思った。

洞爺湖の南岸にはホテル群や住宅が密集して、そのすぐ背には有珠山が迫っている。
車で通りながら、
「この人たちは覚悟してここに住んでいるのね」
と相方がぽつり言った。
洞爺湖ブルー
洞爺湖は約10万年前にできた日本で3番目に大きいカルデラ湖で、【アイヌ語 トヤ(湖・岸)に由来する】
湖の中心に綺麗なとんがり帽子の形をした島などの中島が浮かぶ。
その中島も見る方向によって形が変わるのが魅力的だ。
私は昔観た映画「しあわせのパン」に登場する風景に、こんな素敵な所があるなら一度は行ってみたいと思った。
そして、その湖面に浮かびたいと思った。
だから、私にとって北海道旅行の動機と目的は、ほぼ洞爺にある。

相方と娘はカヌーをしたことがない。
初めてのカヌーが洞爺湖とは、なかなか乙なものではないか・・・
と私は旅前から一人勝手に想像し盛り上がっていた。

夏の北海道は、なかなか思った以上に暑かった。
さりながら、漕ぎ出せば湖上は涼やかな風が吹き、大層気持ちが良い。
最初は硬かった二人も次第に慣れ、

アメンボウのようにスイスイ水面を滑って進む楽しさに、歓声を上げながら、あたかも気持ちまで宙に浮いているようであった。
そして更に、思った以上の青に感動したらしい。

絵の具をそのまま溶かしたのではないかと思える青。
娘などは手を伸ばし、青の不思議をすくおうとしたくらいであったし、相方は漕ぐのをやめ、しばらく漕ぐのをやめ、見入っているのが背中からでも分かった。
見渡せば、水も空も島も山も全て青の世界であった。
気が付くと、

私たちは洞爺湖ブルーの染料を頭から被ったように見事に染め上げられていた。
湖上を舞う綿毛
「浅瀬まで漕いだら、どんな生き物がいるか探してみよう」

娘のためにガイドさんが水中観察の時間をつくってくれた。

洞爺湖北西にある浮御堂公園は湖に突き出ているような地形をしているため、浅瀬の範囲が広く、

観察するには、うってつけの場所だった。
身を乗り出して目を凝らしていた娘が、

「いた!いた!小さな魚がいたよ!」
弾んだ声が響いた。
楽しい時間というのはどうして瞬く間に過ぎていくのであろうか。
「そろそろ岸に上がりましょう」
という声に、後ろ髪を引かれながら舳先を変える。
岸へ向かう途中、風が吹き始めた。
ガイドさんの言う、洞爺湖、夏特有の午後の風らしい。
その時、風に乗って私の目の前を白いものがふわり飛んで過ぎていった。

一つだけではない。
無数の白い綿毛が風に乗り、湖面へと降りていく。
聞けば、ドロノキ(泥の木)の綿毛で、この時期、一斉に飛ばすのだという。
綿毛はタンポポなどの草花でしか知らない私にとって、樹木が飛ばすという概念は毛頭なかった。

これも北国ならではの光景なのだなと思った。
11万年の舞台
やはり洞爺湖の景観に欠かせないのは、湖中央に浮かぶ中島の存在だと思う。
中島は約5万年前に、洞爺カルデラ内での火山噴火で溶岩ドームが水面から姿を出したものだが、この島があるとないとでは、景観は全く違ったものになったのではなかろうか。
何というか、これが洞爺湖だと一目で分かる美しい象徴であり、例えるならば歌舞伎の花形だ。
しかし、花形も全体あってこその花形だから、

少しでも高い所から全体を眺めたいと思い、

サイロ展望台にやって来た。

「よっ!待ってました!」
とは、後で付けた表現だが、周囲の観光客の晴れやかな顔を見ていると、来た者それぞれが、それぞれの表現で、もしかしたら言葉にならない感動で喝采を送っているのだろうなと思った。
当然、演目などない。
ないが、11万年という長く長い、気の遠くなるような地球の歴史そのものが、物言わぬ壮大な演目であるような気がする。
よって、この景観を前にすると、サミット開催地に選ばれた理由も頷ける。

この後、温泉好きの我が家は、その日のうちに函館へ向わないといけないというのに、17時半まで呑気に滞在し、黄褐色の温泉に浸かっていた。
湯浴みしながら、この景色をじいんと心に沁み込ませるように眺めていたかったらしい。
光の折り紙
ほのかに硫黄の香り漂うタオルを首に巻きながら、車は内浦湾に沿って渡島半島(おしまはんとう)の南下を続ける。
渡島半島は、仮に北海道全体地図を描いた場合、一番描きがいのあるユニークな部分であろう。
マンモスの鼻のような姿を以って、本州を掴まんとすの感がある。

ところで、道南の高速道路を走った感想だが、背の高い針葉樹の間をひたすら走り抜けるといった感じで、慣れない私は、今どこを走っているのかの感覚が掴めなかった・・・といったのが正直なところ。
どこを旅していても思うのだが、風景を優先するならば、また時間があるならば、下道を走った方が雰囲気を満喫できる気がする。
とっぷり日は暮れ、高速を降り、七飯町を過ぎたあたりであろうか、山中からいきなり現れた街の奥に、あれがそうと分かる函館山の灯が見えた。

夜に函館に着くのは予定通り。
あらかじめ函館山近くにホテルを取っていたのは移動時間の短縮のためでもある。
疲れ果て眠っていた娘を無理にでも起こし、チェックインすると時刻は21時前。
本日のフィナーレは夜景で締めると、足早にロープウェイ乗り場まで歩く。
最終便に近いゴンドラは、人もまばらで静かなものであった。
徐々に高度を上げていったその時、
「わぁやばい、綺麗!」
隣のカップルの彼女が、これはどうにもたまらないと、周囲にはばかることなく声を上げた。
彼女ばかりでなく、誰もが感嘆の息を漏らした。
光の折り紙が展開されていくように、
オレンジと白の灯が、オレンジと白の灯が、道と両岸のくびれた輪郭を優雅になぞっていく。
それはあたかも、宇宙に向かって函館の街の形を地上に表しているようであった。





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