愛嬌という才能
「この東京スカイビューホテルは、スカイツリーと新幹線を同じ画角で撮れる撮り鉄の間じゃあ有名なホテルなんですよ」
早朝の屋上、肩から一眼レフを下げた先客が教えてくれた。
「え?そうなんですか」
と、それを知らずに宿泊していた私はすっとんきょうな声を上げ、大阪からこの風景に出合うためにやって来た青年に感心した。
眼下には東京駅に向け減速していく新幹線もあれば、元気よく発車した東北、上越、北陸新幹線がそれぞれ違ったフォルムで過ぎゆき、さながら巨大な新幹線模型を眺めているような気分になった。

青年にこれからの予定を聞くと、別段考えてなく、さあどうしよう、これから考えますと、さばさばした様子であった。
同じ質問をされたので、
「これから娘と上野のパンダなんです」
と返したら、にっこり笑って、いってらっしゃいと見送ってくれた。

上野駅は田端駅から5駅進んだ東京駅側、つまり南方面の位置にある。
西郷さんの銅像前を過ぎると、開園30分前にも関わらず入場ゲートの前には、長蛇の列ができていた。
だからもっと早く出発しとけば良かったじゃない。
と突っ込まれそうだが、我が家にとっては、慌ただしくご飯を掻き込む平日とは違い、休日の朝しか味わえない ぼうっとしたのんびりタイムはとても貴重なのだ。
言い訳がましいが、これでも早く出発した方である。

くねくねした回廊を、それこそ蛇にでもなった気持ちで並んでいると、1時間くらいで、いよいよお目当てのパンダが目の前に現われた。

忙しく笹を食べ、

歩き回っては、

再び笹を食べている。
この時私はどうしてパンダが人気なのかがおぼろげに分かった気がした。
別に人気者はトラでもライオンでもゾウでも良いではないかとも思うのだ。
勿論、国内で希少という点では他を寄せ付けない。
そして同じクマ科であっても一色ではなく、白に黒を交え、更には目元だけが黒という際立った配色は類を見ず独特である。
しかし決定打は愛嬌にあるなと思った。
大勢の前でもどこ吹く風とばかり、自由気まま縦横無尽に歩き回って、活発に笹を食べ観客の期待に応える点で、一日中寝そべり、いつ動くのか分からないシロクマよりも、はるかに役者である。
当のパンダは思っていないにしろ、観客ウケする格好のパフォーマーだと思うのだ。
来園記念に昼食は、

これももう食べることができないかもしれない竹皮パンダ弁当とパンダまんにした。
10年越しのボート
今回の小旅行の移動は全て電車である。
その電車旅に欠かせないのはリュックサックではなかろうか。

1週間の旅であるならば、大きめのバッグを下げての移動となるが、2泊3日までだと、バッグでは少し大き過ぎる。
また、2日目も同じホテルならば、置いて出ても一向に問題ないが、宿泊先が変わるとなれば、駅のロッカーに預けたとしても、再び戻るのに労力がかかる。
要するに、いかに両手を空け、荷を荷と意識せず気も楽に移動するかを考えると、

リュックサックほど適しているものはないと思うのだ。
娘も小学校に入り、ランドセルの日々だから何の抵抗もなく背負ってくれた。
ところで、

3時間は覚悟していたパンダ行列が思わぬ形で早く観れたことが幸いし、くまなく園内を回っても、まだ時間に余裕があったので、かねての腹案であった上野動物園や美術館、博物館のすぐ隣にある不忍池へ行くことにした。
実はこれらがある上野公園の正式名称を「上野恩賜(おんし)公園」という。

上野動物園も、「東京都恩賜上野動物園」が正式名称で、その理由は、1924年(大正13年) 宮内庁の前身である宮内省から東京市に下賜されたことによる。
1873年(明治6年) には日本初の公園として指定された。
東京のど真ん中にあって、広大な土地があるのにはこういった歴史がある。
人は自然と旅に出ると水を求めたくなる。
と気付いたのは、「飛騨高山の旅」からで、深い山の木々ばかりを見る旅と思っていたのが、庭園や町の水路、川、池、または温泉がある場所へと引き寄せられた。
腹案であったにせよ東京も同様であった。
お目当ては、

変わらぬ池と、変わり続ける東京。その対比を見たかった。
約10年前、同じくここに来たが、まさか一人で乗る勇気もなく、次に来る時は・・・などと思っているうち時間だけが経過してしまった。

足漕ぎは大人が担当、船長兼、舵取りは娘が担った。
自分がハンドルを回す方向にボートが動く痛快さは、ゲームセンターでの疑似体験とは比にならない。
見張り役の私が、
「わぁ!隣のボートが近くなったよ。船長!急いでハンドルを逆に」
など、少し緊迫感を加えると、

きゃっきゃ言いながら、不忍池にいびつな数字の8を描いた。
空の上は別世界
スカイツリーは、よし行くぞ!と思わない限り行けない場所らしい。

2012年に完成して以来、10年以上も行けていなかったのは、メインの目的にせず、何か用事のついでに寄ろうとしていたからなのであろう。
ふと思い立ち、エレベーターに乗りさえすれば、あっという間に空の上へと行けると思ってしまうのは田舎者のサガであって、ただでさえ人口の多い東京に世界中からの観光客がどっと押し寄せるものだから、1時間待ち、2時間待ちはざらなのである。
ところがこの日常のギャップに、つい田舎者はやられてしまう。
仮に待つとしても、次のアポの時間や帰りの新幹線を気にしたりするようでは、いつまで経ってもスカイツリーは地上から見上げるだけの存在であり続ける。

案の定、目の前で予約チケットは完売し、約2時間待ちとなったのだが、
ここで引き下がらなかったのは、自分でも偉いなと思う。
だがしかし、この待ちがあったことで2度おいしい光景を目にすることになったのだから、怪我の功名どころか、幸運であったとしか言いようがない。

地上4階から、第1展望台がある高さ350mまでは、分速600mのエレベーターで約50秒。
すると、どうだ。

地上ではあんなに幅を利かせ圧迫感のあったビル群がはるか下にあるではないか。
一つ一つの大きなそれらが、一気にミニチュアへと変貌したのには驚いた。
山に登った時によく「眼下に広がる風景」と表現するが、眼下に広がる風景は・・・など書くことがあるが、せいぜい180度が限界で、360度の視界は稀であり、ましてや真下が見える山もない。
これはもう箱庭ゲームの目線であり、鳥にでもならなければ見ることができない異世界であった。

それにしても広いなぁ……。と、思いはするものの声にはならない。
さっきから私は、息を呑む景色ばかりでなく、
遠くが霞んで見えない関東平野にも度肝を抜かれ放しなのである。

私たちは350mの景色に飽き足らず、さらに100m先の空の上を目指した。
昼と夜、二つの東京
これは日本人だけなのかどうなのかは分からないが、あんなによく喋っていた列の前のご婦人たちも、またやんちゃな子どもたちも、皆エレベーターに乗ると、行儀よく静かに口を閉ざしてしまう。
人の距離感が縮まる箱の中は、ちょっとした気遣いと気まずさが存在するらしく、
目的の階に到着するまで、その何とも言えない沈黙みたいなものと、それぞれ格闘をしているのかもしれないと思うのだ。
勿論、私も同様である。
ところが、このエレベーターは違った。
後から大きな鳥に掴まれふわりと持ち上げられたような感覚で、それら一切を前の階に置き去りにし、

小さな歓声と感嘆の声を上げながら青く映る筒の中を進むのである。
これは乗る人に対し、一種のおもてなしの心の現れなのであろう。
扉が開くと、そのまま自然と私たちは大きなガラス窓へと吸い寄せられていった。
その窓の外は、いつしか西の端に赤みを残した空の下、一体、誰が巨大なボタンを押したのか、申し合わしたようにビルや街灯などの明かりを一斉に点灯させ、東京を夜の表情へと変えようとしていた。

天望回廊と呼ばれる第2展望台は粋な造りになっており、まるで塔を縄で巻き付けたようなスロープ型の回廊は、わずかに傾斜があって、歩き進めていくと、向こうの方から風景が動くような錯覚に襲われた。

今、意図せず待った2時間が、一日の中でほんのわずかな時間しか見られない表情をもたらせてくれている。
次第に暗く濃くなっていく空とは対照的に、地上はさらに輝きを増してゆき、

さながら、地上に満天の星がきらめいているようであった。




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