遠いと思っていた場所へ
長崎行きは幾つかの候補の中、旅の一ヵ月前に決まった。
行程を練っているうち、長崎市だけでは物足りない気がして、雲仙、天草にも足を延ばしたくなった。
ところで、こう書いては大変失礼だと承知の上で書き進めるのだが、私にとって長崎は、遥か遠く銀河の彼方にある星のような存在であった。
例えば東京に向かうとする。
仮に、途中にある静岡県に降り立ったことがなくても、富士山や茶畑を車窓から眺めながら、静岡とはこういう土地なのだなと感じることができる。
しかし、こと、長崎県は同じ西日本でありながら、熊本に行くにしても、鹿児島に行くにしても通過するどころか、その姿を見ることさえない。
それこそ東京よりずっと近く、大阪とほぼ同じ距離にあるにも関わらず、これまで50数年生きてきながら、九州で唯一行けていなかった場所であったのだ。
だから恥ずかしながら、行く前になって「長崎市はここだったのか」と、地図を見ながらようやく認識した次第である。

広島を出発したのは早朝4時半。
助手席と後部座席の寝息をBGMに、朝日に照らされた関門海峡を渡る。
九州の大交差点である鳥栖JCTを過ぎ、大きく西へ向きを変えた頃、娘がゆっくりと目を覚ました。
目の前には、どこまでも広がる筑紫平野である。
その雄大な景色を味わいながら車は進んでいく。
しかし、その開放的な風景も佐賀県武雄市の手前で幕を閉じることとなった。
この先、旅の最終日まで、これほど遠くまで見渡せる平野には出会わないことを、この時の私はまだ知らない。
その話は、また後日ゆっくり書くこととして、
午前9時半に最初の目的地、ハウステンボスに到着した。

くるくる回る異国の午後
なぜ、「ハウステンボス」と呼ぶのであろうか。
と、今まで考えたことがなかった。
まさか「ハウス・テン・ボス」とは、家に十人のボスがいるという意味ではあるまい。
園に入りふと気になって調べてみると、思いがけないことを知った。

「ハウステンボス(Huis ten Bosch)」はオランダ語で「森の家」を指し、
オランダ王室の宮殿「パレス・ハウステンボス」に由来していた。
そもそも、日本とオランダの関係は江戸時代まで遡る。
江戸時代、唯一ヨーロッパとの交流が許されていた場所が長崎だったこともあり、オランダという歴史的つながりを背景に、ハウステンボスは誕生したのだという。

オランダの街並みや運河、風車だけでなく、王室宮殿「パレス・ハウステンボス」の外観まで忠実に再現されており、

まさに異国を歩くが如くである。

まさか娘は異国情緒を味わうためだけに来たのではない。

ミッフィーとのアトラクションや、2ショットができる場所では、いつもカメラを向けると嫌がるくせに、今回ばかりは、
「撮って、撮って」
と、せがまれた。

中でも、3階建てのメリーゴーランドは衝撃的であったらしく、

一回だけでは飽き足らず、

佐世保の夏空の下、メリーゴーランドは何度もゆっくり弧を描いた。
さて、これから宿泊地の長崎市に向かわなければならない。

それなのに、プールに入ったのが誤算であった。
娘の「あと一回だから」には何度もやられているはずなのに、楽しそうな笑顔を見ていると、つい頷いてしまう。
気付けば夏の日長も手伝い、時間の感覚を失っていた。
ハウステンボスを発ったのは、予定よりも1時間遅い、18時半前であった。
長崎の輪郭が見えてきた
旅には常に時間制限が付きまとう。
例を挙げるならば、入場時間、電車の出発時間、ラストオーダーなどだ。
中でも時間を違えてはいけないのが、ホテルのチェックインではなかろうか。
食事付ともなれば、時間を大幅に超えてしまうと晩御飯にありつけなくなってしまう。
私たちの旅は、時間が少しでも空けば、
「せっかくだから、もう1ヶ所」
と、ぎりぎりのぎりぎりを攻めてしまう癖があり、随分前、旅先で週末の飲食店がことごとく満席で、店を転々とした苦い経験を機に、それ以来、素泊まりではなく、なるべく食事付きのプランを選ぶようになった。
そちらの方が、ご当地の食材を使った料理にありつけると気付いたのだ。
今回は20時のチェックイン前に、稲佐山からの夜景を見ようと欲張った。
さて、ハウステンボスから長崎までのルートは2つあった。

大回りだが高速道路が通る東側と、短距離だが下道の西側ルートである。
どちらを走るかは事前に決めず、現地の様子を見て判断するつもりだったが、後部座席の一声で、瞬時に西回りルートに決定した。
しかし、これが良かった。
理由は三つある。
一つは、大村湾の西岸三なぞるように走り、場所によっては海と海に挟まれた細長い陸地を進むことで、「長崎」という名を思わせるような細長い地形を肌で感じられたことだ。
特に西日が海面に反射し、東岸の緑が黄金色に輝く風景は、日本広しと言えどもなかなか出合える光景ではなかった。
二つ目は、国道206号を走り抜けながら、長崎という街の窮屈さを肌で感じられたことだ。
大村湾から長崎湾へ近付くにつれ、両脇から山が迫り、平らな土地は次第に細くなっていく。
そのわずかな平地を縫うように道路が走り、その横を路面電車まで行き交っている。
朝、筑紫平野で感じたあの開放感は、もうどこにもなかった。
そして3つ目は、国道206号から脇道へ一本入った途端、目の前に現れた急坂である。
しかも、ただ真っ直ぐに上るのではない。
右へ左へとうねりながら駆け上がっていく、いかにも坂の街らしい癖のある道だ。
これこそが、観光写真だけでは分からない長崎の素顔なのではないかと思った。
この3つの風景が重なって、「今、まさに長崎に来ているのだ」という実感が湧いたのだ。
ちなみに、稲佐山からの夜景は、私が誤って坂道の迷路に迷い込んだために時間が足りず、翌朝に持っていくことにした。
その代わり、ホテルのチェックインには無事間に合い、夕食では朱塗りの円卓を模した器に盛られた

長崎の郷土料理「卓袱(しっぽく)料理」を味わうことができ、ホテルの窓からでも、長崎湾を囲むように広がる夜景を眺めることができた。

稲佐山には間に合わなかったが、これはこれで悪くない長崎最初の夜となった。



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