長崎は、私にとって同じ西日本にありながら、どこか遥か遠くにある土地であった。
これまで九州各地を旅してきたにもかかわらず、長崎だけは訪れる機会がなく、天草に至っては地図上の位置さえ曖昧なほどであった。
そんな長崎を目指し、家族3人で広島を出発した夏の4日間。
ハウステンボスから始まった旅は、坂の街・長崎へ。稲佐山から長崎湾を眺め、平和公園、グラバー園、眼鏡橋を歩きながら、この街が歩んできた歴史に触れた。
そして車は島原半島へ。
雲仙では、白い硫黄泉に浸かり、噴気を上げる雲仙地獄を歩き、仁田峠から約50万年にわたる火山活動がつくり上げた山々を眺めた。
山を下れば、そこには島原城と武家屋敷の歴史があり、その一方で、普賢岳の噴火による火砕流や土石流の記憶が今なお残されていた。
火山がもたらす恵みと、時として人々の暮らしを一変させる自然の力。その両方を知った島原から、今度はフェリーで海を渡り天草へ向かった。
天草では、野生のイルカと海を走り、予定にはなかった西海岸まで足を延ばし、旅の最後には天草諸島最高峰の倉岳へ。
山頂から見渡したのは、青い海に大小の島々が浮かぶ、これまで地図の上でしか知らなかった天草の姿であった。
振り返ってみれば、この旅では何度も、訪れる前と後とで物事の見え方が変わった。
遠いと思っていた長崎との距離。
海へ開かれた長崎という土地。
美しい島原城の向こうにある歴史。
恵みと災害、二つの顔を持つ雲仙岳。
そして、複雑な海岸線と島々からなる天草。
実際にその土地を走り、歩き、海を渡ったことで、それまで地図の上にしかなかった場所が、一つ一つ自分たちの記憶の中の風景へと変わっていった。
これは、家族3人で長崎から雲仙、島原、そして天草へと巡った4日間の記録である。

Day1|遥か遠くにあった長崎へ ―― 地図が風景に変わった日

早朝の広島を出発し、最初に向かったのはハウステンボス。
異国情緒あふれる街並みを家族で楽しんだ後、大村湾の西岸を走って長崎市へ。
細長い陸地、山に挟まれた街、路面電車、そして急坂。
これまで地図の上でしか知らなかった「長崎」が、少しずつ目の前の風景へと変わっていった。
Day2|坂の街を歩いて ―― 白い湯の待つ雲仙へ

稲佐山から長崎の地形を眺め、平和公園、グラバー園、中華街、眼鏡橋へ。
坂の街を歩きながら、海外との交流、原爆の記憶、異国文化が重なり合う長崎の歴史に触れる。
そして夕方、島原半島へ。
ジャガイモ畑の向こうに雲仙岳を眺めながら山へ入り、一日の最後は乳白色の硫黄泉、小地獄温泉へ。
Day3|火山と人の歴史を辿って ―― 海を越え、天草へ

硫黄の匂いと噴気に包まれた雲仙地獄から始まり、仁田峠では雲仙岳が長い火山活動によって形成されてきた歴史を知る。
島原城、武家屋敷を巡った後は、土石流被災家屋保存公園とがまだすドームへ。
火山の恵みと災害、その両方を目の当たりにした島原を離れ、フェリーで天草へ。
長い一日は、島々の向こうへ沈む夕陽とともに暮れていった。
Day4|天草の海を巡って ―― 旅の終わりは天空へ

最終日は、コバルトブルーの海で暮らす野生のイルカたちとの出合いから始まる。
その後、予定を変えて天草西海岸へ向かい、西平椿公園のアコウの巨木と透明な海へ。
そして旅の最後に目指したのは、天草諸島最高峰・倉岳。
天空の鳥居から島々を見渡し、旅を無事に終えられたことへの感謝を込めて鐘を鳴らした。


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