迷路のような尾道
尾道に行くと決まったのは、毎度ながら当日の朝である。

しかも洗濯物を干し終えてから出発となると10時半を回り、
高速に乗り着いたのは正午過ぎ。
更に駐車場を探し探し路地の間をくねくね、ぐるぐるしてなどしていたら、あっという間に13時半になっていた。
しまった、これはうかつであった。
と思わず声に出してしまったのは、遅く着いたことを悔やんだのではない。
千光寺ロープウェイが点検のために、終日運航をしていないということを知ってしまったからであった。
本日の目的地をその一点と決めていたものだから、やっとこさここまで来て、今さら予定を変更するかどうか考えている場合ではない。
やれまずは腹ごしらえをしようではないかと細い路地へと入ってゆく。
ところで、尾道を歩くといつも思うのだが、どの道も狭い。
車一台がようやくすれ違える場所があれば良い方で、中には一台しか通れない道や、車すら入れない小道まである。
石屋町と書かれた石柱があったのもそういった場所で、西に向かうと少々開けた辺りに「一楽」という看板を見つけた。
入れば縦長の店内で、奥に3人分の空間を見つけ、どかりと腰を下ろすと、先に小さな子ども連れの家族がいた。
店主と客とのやり取りを聞いていると、どうやら常連客であろう。
昔から地元に根付いている店らしい。
運ばれてきたのは、

鶏ガラだしが綺麗に澄んだ中華そばである。
味も見た目通りにすっきりしており、

私好物の細麺が、気持ち良いほどに喉の奥に流れていった。
娘は「美味しい」を何度も口にしながら、小皿に移された麺をフォークで器用に食べている。
さて困った。
その姿を見ながら心の内で腕組みをした。
3歳の娘があの急な坂道を果たして上って行けるものだろうかと。
尾道の坂道を歩く
承知の通り尾道は坂で有名な街である。
特に千光寺がある周辺は、山陽本線の踏切を境にして突如勾配が始まるのだが、この坂道こそ、尾道が尾道たる所以である。
父の目線をもってすると山頂までの道程は、

少しでも平坦な道が続いてくれればと願うばかりだった。
が、私の心配をよそに、娘はすたすたと先頭をゆくではないか。
一体その小さな体のどこに、そんな力が秘められていたのかと、目を疑いたくなる程である。
ひょっとすると。
と、一つの仮説が浮き上がった。
細い道は、人の「歩いてみたい」という気持ちを掻き立てるのではないか。
坂道もまた、その先にはどんな景色が待っているのか。
見たい、知りたい。
そんな好奇心をくすぐるのではないか。
小さくも勇ましい背中を見ながら思った。
小道の合流地点に突き当たると、三重の塔がようこそと待ってくれていた。

千光寺の境内を抜けると道は更に急になり、
いつか弱音を吐くとばかり思っていた娘だったが、

ついに私の手を借りることなく、頂上へたどり着いた。
記憶の代わりに
「お父さん、お父さん、早くあそこへ上ってみたい!」
興奮した娘が今にも今にも駆け出しそうだった。

彼女にとって、それは天に向かう滑り台のように見えたのだろうか。
少し前にラジオで新しい展望台が素晴らしいと聞いていたが、これは思った以上だった。
実に粋な造りである。
螺旋階段を上がると、その先には約50メートルにわたって一直線に伸びる回廊が現れれ、離れ見れば天女の衣の帯がふわり風に舞っているようである。

その帯からは、どこの位置であっても眼下の風景を楽しむことができるようになっていた。
一見すると河ではないか。
そんな錯覚すら覚えた。
千光寺の山頂は、
近くの島、遠くの島が幾重にも折り重なる絶景だった。

なるほど、十返舎一九や正岡子規が詠嘆した理由が分かる。
足を使って登った甲斐あってか、
私は初めてここに来たかのような感動に襲われ、
余韻はいつまでも押し寄せる波のようであった。
さて、初めてこの景色を見た娘の目には、どう映ったのだろう。
だがしかし、数年経って覚えていないにせよ、自分の足で登ったのだということを写真や文章で残しておくことが私の責務であるように思えた。
そういう訳で、彼女の初登山は千光寺山なのである。
静かな寝息
登りを歩いたなら、下りも当然歩きである。
山登りは登りよりも下りの方が危ないとされている。
体重移動が難しいからだ。
どんなに手を差し伸べても、抱っこしようかと声を掛けても、娘は頑として自分の足にこだわる。
娘の腰ほどもある石段も手すりを両手で握って、全身を使いながら、ゆっくり確実に進んでゆく。
こちらとしては、まだ幼い足が、いつふらつき踏み外すのではないかと、気が気ではなかった。彼女の2段先を私が先導する形で、一段一段、時間をかけて麓まで下りてきた。
さすがに疲労も溜まっているだろうと、

休憩場所は、ロープウェイ山麓駅の隣にある「茶房 こもん」 にした。

ここは、やわらかくしっとりしている

ワッフルが有名なお店で、

疲れの方が大きく、食欲がないのではと危ぶんだものの、なんのここは別腹と、きっちり綺麗に平らげた。
しかしよく頑張った。
何かと私の予想を上回った一日であった。
心配ばかりしていたのは、どうやら私の方だったようである。
後部座席から静かな寝息が聞こえてくる。
その寝顔は、今日一日をやり遂げた者だけが見せる、穏やかな表情であった。



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