パンフレットの片隅から始まった、三瓶山への旅
九州には活火山が数多くある。
有名なものを挙げれば、由布岳、九重山、雲仙岳、阿蘇山、霧島山、桜島などだ。
では、場所を変えて、私が住む中国地方はどうだろう。
活火山は、あるにはある。
だが、その数は九州に比べればずっと少ない。
その一つが、山口県萩市周辺に点在する阿武火山群。
そして、もう一つが島根県にある三瓶山(さんべさん)である。
その三瓶山へ行ってみたいと思った。

どうして三瓶山だったのか。
きっかけは、観光パンフレットの片隅に小さく掲載されていた、一枚の写真だった。
何気なくページをめくっていた手が止まった。
これは、九州の名だたる火山にも勝るとも劣らない。
そう思うほど、どえらくも衝撃的な写真だった。
しかも、そこに写っているものは、火山があるからこそ残されたものらしい。
こんな場所があるのなら、ぜひとも行かなければならない。
いや、行かなければ必ずや後悔する。
そう思った。
車のエンジンを掛けたのは、我が家としては珍しい朝8時半。
普段なら、
「今日、どこ行く?」
などとのんきに話しているうちに午前中が潰れ、さらに昼食まで食べてから出発となれば、たとえ高速道路を使ったとしても行動範囲は知れたものである。
「あと2時間あれば、もう少し先まで行けたのに……」
「もう少し早く出ていれば、閉店に間に合ったのに……」
これまで何度、同じことを繰り返してきただろう。
ところが、ようやくというか、50歳になって知恵がついたらしく、やっとその悪循環、いや悪癖に気付くことができた。
気付いた時、
「我ながら成長したもんだ」
と、細い目をしながら部屋の一角を見つめたのを忘れない。
さあ、どうせ日帰り旅をするならば、事前に計画を立てなければならない。
行きたい場所の候補を挙げ、地図と睨めっこしながら距離感をつかみ、移動時間を考え、ついに我ながら素晴らしいと思えるタイムテーブルが完成した。
もっとも、事前といっても計画を立てたのは前日だから、成長具合は怪しいものである。
ともかくも、朝に弱い我が家が、いつもならまだのんびりしている時間帯に高速道路を疾走し、緑鮮やかな山々の間を縫うように走り、堂々たる大河・江の川に沿って車を走らせていようとは、
先週まで――
いや、前日の午前中まで想像だにしなかったことである。
やはり胸を張ってもいいような気がする。
目的地周辺に着いたのは11時前。
目指していたのは、あのパンフレットで見つけた場所。
今回の旅の本命であるミュージアムだ。
ところがだ。
辺りには、のどかな田園風景が広がっている。
その一角に、低いコンクリートの構造物があるだけだった。
私が「ミュージアム」と聞いて想像していたような、お堅い建物はどこにもない。
本当にここなのだろうか。

ナビに騙されたのではないか。
いぶかしみながら、ひとまず車を停めた。
4000年前へ続く階段
驚いたことに、舞台は地表ではなく地下にあった。

階段を下りるなり、ぶったまげてしまった。
私はてっきり、地底から掘り出したものを地表で展示しているとばかり思っていたため、まさか地下にこんな空間があろうとは予想だにしていなかったのだ。

目の前に現れたのは、およそ4000年前の森がその場に残る、本物の地底の森であった。
これが噂で聞いていた「三瓶小豆原埋没林」なのかと棒立ちになった。

発見のきっかけは、水田の整備工事の際に直立した巨木が現れたことだった。
1998年に再び発掘調査が行われ、掘り広げていくと次々と巨木が現れ、次第に巨大な地底の森が存在することが判明した。
大きいものは根回り約10m、生きていた時の推定樹高は約50m。
放射性炭素年代測定によって、この森が生きていたのはおよそ4000年前であることが分かった。
その頃に起きた三瓶山の火山活動によって発生した土石流が森を埋め、いくつもの偶然が重なったことで、巨木は長い年月を経てもその姿をとどめたという。

ところで、「粋だなぁ……」と舌を巻いた。
私はてっきり、掘り出した巨木を地上の建物へ運び、展示しているものと思っていた。
ところが、そうではない。
森を地上へ持ち上げるのではなく、私たち人間の方が地下へ降りていくのである。

まるで階段を1段降りる度に時間をさかのぼっているかのようである。
これ程、不思議な感覚を伴った衝撃はない。
今でこそ我が物顔で表を闊歩しているが、ここに大先輩がいるではないか。
私がそこで痛感したのは、これは4000年前の木を集めた展示ではなく、4000年前の森が、今もそこにあるのだということ。

人間には測り知れないほど長い時間が存在すること。
そして、その時間のほんの一瞬を、自分は今、生きているということであった。
10万年の話と、腹ぺこの娘
三瓶火山の活動の歴史は古い。
(以下は大田市資料などを参考に作成)
約10万年前にはじまり、約4000年前までの間に7回の活動期があった。
約10万年前の活動では多量の噴出物を高く放出し、降りつもった軽石や火山灰は、約50km離れた松江市内で50〜100cm、遠くは東北地方でも確認されている。
2回目の活動(約7万年前)では大火砕流が発生。
この2回の活動がカルデラを形成する規模の大噴火であった。
約3万年前、約1万6000年前にも大きな爆発的噴火を行っており、現山体は、約1万6000年前以降の活動で形成された。

山体を作った噴火は、粘り気の強い溶岩が火口付近に盛り上がってできる「溶岩ドーム(溶岩円頂丘)」を形成し、現在の三瓶山は、主峰の男三瓶山をはじめ、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山など、いくつもの峰が「室の内」を囲むように連なっている。
さて、先ほど我が家を興奮のるつぼと化した「さんべ縄文の森ミュージアム」(三瓶小豆原埋没林公園)は、三瓶山の北側にある。
そこで購入した4000年前の埋もれ杉から作られたストラップを大事に握りしめ、続いて、三瓶山の西側へ移動した。
ここにあったのは浮布池(うきぬのいけ)。
(以下は看板より引用)

南北約750m、東西約400mの広さを持つ天然湖沼の浮布池は、三瓶山西麓の堆積物によって谷の出口が塞がれてできた堰き止め湖とされている。
一方、現地の案内板には、684年の白鳳地震によって男三瓶山と子三瓶山の間の谷が崩れ、池ができたという伝承も記されていた。
また、万葉歌人の柿本人麻呂はこの池で、
「君がため浮沼の池の菱摘むとわが染めし袖ぬれにけるかも」
と詠んだといわれる。
「そんな難しいことよくわかんないもん」
とは言ってなかったが、とにかく、
「お腹が空いた!空いた!」
と車中で騒ぎ立てる娘をなだめ向かったのは、ジンギスカンを食すことができるお店「霧の海食堂 きっ川」。

鍋を三瓶山に見立て、4000年前の噴火を再現するかのごとく、じゅじゅじゅじゅう~。

4000年の時をさかのぼった後に待っていたのは、札幌以来となるジンギスカンであった。
三瓶はゆったりが似合う
今度は三瓶山の南麓をぐるりと回り、

青々とした葡萄畑を抜ければ、

「三瓶山東の原」。
ここからは、峰の一つ、大平山の山頂近くへ一気に上る。
標高差255mをリフトで約15分かけて登るのだと聞き、そんなにも乗っていられるの!?
と目を輝かしたのは娘と私。
ゴンドラでびゅんと高度を上げ、目まぐるしく変わる景色を楽しむのもいい。
だが、そもそも三瓶には不似合いだし、そんなの粋じゃぁない。

三瓶はゆったりが似合うのだ。
山頂に近付くにつれ涼やかな風が吹く。
娘はアトラクションに長く乗っていられることを喜んでいたようだが、理由はどうあれ、親子にとって至福の15分はまたたく間であった。
さて、東の原展望テラス。

標高約854mの眺めは素晴らしかった。
遠くには山々が横一列に、きちんと行儀よく並び、その色彩も、手前の緑から次第に青みを帯び、果ては空へ溶けていく。
まさに神話の国にふさわしい眺めだった。
ところがだ、このテラスは通常とは違ってまだ続きがある。

外側に広がる風景だけでなく、反対側を向けば、巨大な鉢のような火口の内側まで見渡すことができる。
まさに壮大な反響ホールじゃぁないか。
「これは叫ばずにはいられない!」
と誰が言ったか。

まず、娘が男三瓶に向かって照れながら「やっほ~」とやったものだから、違う、違うそうじゃない。
こうするんだと、人生の先輩がしゃしゃり出てきて叫んでみる。

耳に手を当てていると、かすかに山が応えた。
もう見てられない、そこをどきなさい!とばかり、

最後は大御所が震天動地の一声。
これにはさすがの三瓶のお山もたまらない。
ぐわんぐわんと跳ね返ってきて、たまらず私は尻もちをついた。
変わらない山、変わった私
実は三瓶は初めてではない。
過去に数回来たことがある。
どれも青く酸っぱい記憶ばかりだが、やはり最初に訪れた時の衝撃は忘れられない。
それ以来、私にとってこの山は特別なものとなった。
一度目は私が社会人なりたての時期で、高校の先輩に誘われ、同級生たちと夕方に出発し、旅館に宿泊し起きれば眼前に、突如として雪で光るドデカイ山がドンとあった。
いきなりだなんてもんじゃない。
すっとんきょうな声をあげ、しばらく立ちすくんだのを覚えている。
今も探せば、三瓶を背にふざけた格好をした、山への敬意など微塵も感じられない若かりし頃の写真が出てくるに違いないが、とにかく、あれは衝撃的だった。
あれから30年近く経った。
三瓶はちっとも変わらない。

変わったのは私の方だ。
「お父さん、追いかけっこしよう」

娘はそう言い放つと、勝手に走り出した。

火山の恵みを、肩まで
西の原で追いかけごっこをした後、

三瓶山を巡る一日の最後に向かったのは、「国民宿舎 さんべ荘」。

ここまで、4000年前の森を見て、火山がつくった風景を巡り、その山の懐で遊んだ。
ならば最後は、火山がもたらした恵みに肩まで浸かって帰ろうではないかと思った。
三瓶温泉は、全国でも珍しい鉄分を豊富に含んだ茶褐色の温泉である。
もし白地の布を浸したら、もう元の白には戻れないような印象的な色である。
そんな湯に浸かってみると、これが実に良かった。
中でも気に入ったのが、非加熱の源泉がそのまま注がれる酒樽風呂と釜の浴槽で、加温されていないため湯温は低めなのだが、夏時期にはそれがちょうどいい。
一度入ってしまえば、困ったことに出る理由が見つからず、このまま一日中でも浸かっていられるのではないかと思うほど気持ちが良かった。
そういえば、ここには以前泊まったことがある。
あの頃と比べると館内や温泉はリニューアルされ、随分と印象が変わっていた。
三瓶はちっとも変わらない。
そう書いたばかりだが、その麓にある温泉は、時とともに少しずつ姿を変えているらしい。
4000年前の森から始まり、火山がつくった山や湖を巡り、最後は、その火山が今も与えてくれる湯に肩まで浸かる。
考えてみれば、今日は朝から晩まで三瓶火山の恩恵にどっぷり浸かった一日だった。
文字通り、最後は肩まで。
次に三瓶を訪れる時も、ここはきっと、目的地の一つになっているだろう。
→ 三瓶温泉
塩化物泉+含鉄泉
島根県大田市三瓶町志学2072−1




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